◆大念仏寺
【大阪七幸めぐり】
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大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪市平野区にある寺院で融通念仏宗総本山です。創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場になります。 ご本尊は十一尊天得如来絵像(融通念仏宗特有の呼称)で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像)です。 比叡山の天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創しました。
開祖である平安後期の僧の良忍上人(1072-1132)が京都大原で修行中、唱える念仏が美しすぎるため近くの滝の轟音がかき消されてしまうといったエピソードがあり、 現在でもその滝は“音無の滝”として広く知られています。
二十三歳の時、真の仏道を求めんと意を決して山をおり洛北大原に移りました。一日六万遍の念仏を唱え苦行を重ね、法華経等あらゆる経典を読破写経し来迎院を開創し浄蓮華院等を復活建立しました。
上人は生来、美声と音楽才能にめぐまれ、声明(仏教音楽)に励み、当時伝えられていた緒流緒派を統一大成し声明中興の祖と仰がれています。 永久五年(1117年)四十六歳の五月十五日正午三昧中に阿弥陀如来により速得往生の道、口称融通念仏(くしょうゆうづうねんぶつ)の偈文(げもん)を授かりました。
このときを持って本宗の開宗と定めています。 四天王寺に錫(しゃく)をとどめていた時、聖徳太子の霊告を蒙り、大治二年(1127年)摂津平野に根本道場として大念仏寺を創建しました。 融通念仏は一人で念仏を唱えるより、多くの人が唱えるほうが、互いの念仏が融通しあって往生できるという考え方です。
毎年5月1日~5日に行われる「万部おねり」は大阪市指定無形民俗文化財に指定されており、25人の菩薩が娑婆(外側)から極楽浄土(本堂)に練り歩き、 絢爛豪華な来迎の世界を体現しています。
この平野の地は難波京と斑鳩・平安京を結ぶ古代道路「渋川道」(竜田越奈良街道)が通っている要所で、また中高野街道の起点にもなっています。また中世以降は荘園の近辺に大念仏寺などの有力寺院が建立され地元では末吉氏などの有力者が中心となり自治都市が形成されていましたが、戦国時代末期になると織田信長に脅されたため、荘園や町の周りに環濠を巡らせて襲撃に備えたものの結局は織田信長に屈服することとなりました。
その後、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、町の有力商人は大坂・天王寺村へ移住させられ、環濠は再び埋めさせられました。
太平洋戦争後、旧平野郷地域の周囲も宅地化されていき、その面影は少なくなっていき、環濠も埋め立てられてしまい現在では杭全神社近辺に200m程度しか残っていません。