大阪 ふぁんくらぶ

 はじめに

 江戸時代には関西のことをのことを上方(かみがた)と言ったそうです。 この上方にはどのあたりまであたりまでが範囲なのかよくわかっていませんがが少なくとも京都は天皇さんがおられたので上方だったのでしょう。落語や講談の世界には江戸へ行くことを「東下り」ともいうようです。
  また江戸時代以前は大阪は大坂と書いており、その範囲は北を淀川沿岸・南を大和川に挟まれた上町大地周辺を指していたそうです。今の大阪になったのは明治時代と聞いています。

   明治四年(1871年)に断髪令と武士の帯刀廃止令が出されたとき【坂】の字は士に反と書くことから「武士がそむく」といわれ【阪】になったという説が有力だそうです。 江戸時代は政治的な中心である江戸に対して、上方と呼ばれる地域における文化は上方文化とも呼ばれ独自の文化が育ちその文化の差が、何かに付けて【東京VS大阪】のような対比する習慣につながっているのではないでしょうか。

   大阪に生を受けあまりにも自分の住んでいる場所についての知識がないかを改めて認識したことがこのサイトを作ったきっかけでした。
  もともと歴史や社寺仏閣は興味がありましたのでちょうどいいのかもしれません。あわてないで少しずつ充実していきますので気長にお付き合いくださいね。

 【大阪七幸めぐり
大阪天満宮住吉大社四条畷神社大念仏寺太融寺今宮戎神社四天王寺

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 【天王寺七坂めぐり
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更新履歴【2017年】
・ 01/01 作成開始
【~PickUP!IMAGE~】

無量光寺さん】首大仏
境内にはいったときのそのインパクトはすごいものがありました。



太融寺さんでみつけた石仏】(2008/05/23)

どうやら〔田の神〕のようです。おしゃもじと杵をもたれています。 この田の神は九州南部に多く見られ〔タノカンサァ〕と呼ばれているそうです。 なぜこの場所にあるのかは・・・社務所の方曰く・・・ 「いつのまにかここにあった」そうですww