◆太融寺
【大阪七幸めぐり】
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当寺は弘仁12年(821年)にこの地に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建されました。
ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子河原左大臣源融(みなもとのとおる)公が、この地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立され、浪華の名刹として参詣者でにぎわいました。
ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子河原左大臣源融(みなもとのとおる)公が、この地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立され、浪華の名刹として参詣者でにぎわいました。
最盛期の寺域は広大で、現扇町公園が寺の庭であったそうで当時を偲ぶ境内地の名称は今に伝えて、太融寺町、堂山町、神山町、扇町公園、野崎町、兎我野町等として残って居ります。大坂の陣のとき、豊臣方にくみしたため寺域を削られました。
元和元年5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の遺骨は、大阪城外鴫野、弁天島に一祠を作って埋められました。これが淀姫神社で、明治10年11月、城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り移祀されることとなり、豊臣に縁の深い当寺に埋め九輪の塔(現在戦災に依り六輪)を建て境内西北隅に祀りました。
ここが大阪梅田の繁華街なん?おもわずそう言ってしまいそうになるくらいの静寂があります。
ふだらくや
きしうつなみにみくまのの ※御詠歌
補陀洛や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく 滝津瀬
補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳で、補陀洛は『華厳経』ではインドの南端に位置するとされています。またチベットのダライ・ラマの宮殿がポタラ宮と呼ばれたのもこれにちなむそうです。中世日本では、はるか南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と言い、記録に明らかなだけでも日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超える補陀洛渡海が行われたそうです。
自由民権運動
【太融寺さんでみつけた石仏】(2008/05/23)
どうやら〔田の神〕のようです。おしゃもじと杵をもたれています。 この田の神は九州南部に多く見られ〔タノカンサァ〕と呼ばれているそうです。 なぜこの場所にあるのかは・・・社務所の方曰く・・・ 「いつのまにかここにあった」そうですww 歴史のあるお寺です。そういえばこの辺りには「堂山」「神山」等の地名が残っています。