◆住吉大社

【大阪七幸めぐり】【大阪市内】
◆住吉大社


 【大阪七幸めぐり
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  大阪住吉区にある住吉大社(すみよしたいしゃ)は、式内社(名神大社)、二十二社、摂津国一宮で、旧社格は官幣大社(現、神社本庁の別表神社)。日本全国の住吉神社の総本社です。   ただし、住吉三神を祀る神社の中で最も古いものは明確ではなく、博多の住吉神社や壱岐市の住吉神社や神戸市の本住吉神社が有力です。  








 地元では「すみよしさん」あるいは「すみよっさん」と呼ばれ、また毎年初詣の参拝者の多さでも有名です。 現在は街中にありますが江戸時代までは海に面しており、摂津名所図会にも掲載されており白砂青松の風光明媚の代表地とされていました。 またその風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばていたそうです。 今では考えられませんが、古代の大阪は上町台地だけが半島のように突き出していてその半島の根元のあたりに住吉大社さんがあったのですからきっと壮大な松林と豪華な神殿が美しかったのでしょうね。   また紫式部『源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれていなす。また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話です。


 【反橋(太鼓橋)】  住吉大社へお参りしたらこの橋をわたらないと・・・・・そんな象徴として名高い太鼓橋です。長さ20m、幅5.5m高さ3.6mあり、現在の石の橋脚は、慶長年間、淀君が奉納したそうです。






 【みそぎ場と水浪女神(ミズハメノメカミ)】  境内のはずれになんとなく歩いてみるとどこからか水の流れる音が。 住吉大社さんの境内に滝があったんですね。そういえば「おたき道」の石碑がありました。





 【御田改修の碑と新橋廓】 【御田】  【国指定重要無形民族文化財】 住吉大社の御田植 住吉大社の「御田植神事」は「御田」(おんだ)とも呼ばれ 毎年6月14日に執り行われます。   社伝によれば、神功皇后さまが、五穀豊穣を祈るために長門国から 植女(うえめ)を召して御田を定められたに始まると伝えられています。   現在は前儀の粉黛式(ふんたいしき)・戴盃式(たいはいしき)に始まり、本殿に 於ける豊作を祈る祭典に続き御田式場では、田舞(たまい)、神田代舞(みとしろまい)、 風流式武者行事、棒打合戦、田植踊、住吉踊の伝統芸能が奉納される間に 替植女(かえうえめ)により早苗が植えられます。そして10月17日の「宝之市神事」に 初穂を神前に供えます。







【楠クン社】   住吉大社のお稲荷さんです。   毎月最初の「辰の日」がお祭りになるところから 「発辰さん」の名で人々から親しまれています。   昔からお参りの際に招き猫の土人形を受けると 福が授かるとして「招福猫」の神社としても大変有名です。








【浅沢社とおいとぼし社】   
 浅沢の杜若(かきつばた)
                 住吉(すみのえ)の浅沢小野(あささわおの)の杜若                         衣に摺りつけ着む日知らずも                                                     万葉集

今の言葉に直してみますとこんなかんじでしょうか? 住吉の浅沢の小野に杜若が咲いていますね。 その杜若で衣を染める日が、いつになったら来るでしょうか。 と、なりますがこの杜若は浅沢社の杜若ときっと思いをよせている 彼女の意味もあるのでしょう。おもいっきり恋愛の歌です。 ちなみに住吉区の花も杜若(かきつばた)です。由来が記されている看板によると下記のようなことが書かれています。









   ここから南にかけては清水の湧く大きな池があり浅沢と呼ばれ ならの猿沢や京都の大沢と並ぶ近畿の名勝でした。 とくに住吉の浅沢池は美しく咲き乱れる杜若で歌人たちに愛され万葉集を はじめとする多くの歌集に名をとどめています。  しかし昭和に入って「忘水」と称された浅沢の清水も枯れ、杜若に代わって 明治神宮の花菖蒲が移植されていましたが、平成九年地元の強い要請を受け、 細江川改修の一環として浅沢に新しい水脈を加え、各地の原種の杜若を集め ここに復活させることができました。 鳥居には<文政八年>と彫られています。西暦1825年でこの時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉(徳川幕府第11代将軍)です。  大歳神社は大歳神を祀り、収穫の神です。集金、商売繁昌、家内安全、願望成就の御 神徳があり、毎月初の辰日に祈願する人々で賑わいます。





  また浅沢神社は 市杵島姫神を祀り、福の神、婦人の作法、芸事の守護神として崇敬されています。祠の中にはたくさんの堤燈が吊られていてなんとも艶めかしいお名前がありました。   おいとぼし社について おいとぼし社は、お愛し星または老年星ともいわれ、ご正体は俗に 「龍神さん」または「金龍さん」として古くより親しまれてきました。

 その由来は謎につつまれており元々は銀杏の巨樹のもとに 神秘の祠としてまつられ長らく信仰をあつめてまいりました。   地元の伝承によりますと、天から落下した隕石を願い事の守護神として祀りはじめたものとも云われます。

 おいとぼしさまのご加護のもと、「おもかる石」(おぼっさん)を手にして 願いの可否を仰ぎます。 毎年四月十五日と十月十五日の春秋二度の大祭があります。 「おもかる石」を持ってみました。。。。。  ぴくりともうごきませんでしたww。












 【五大力】守石と【3本の松葉】  

 五大力 石守(ごだいりきいしまもり)は寿(命)力・福力・体力・智力・財力です。   ちいさなちいさな小石に「五」「大」「力」と書かれている石があります。それを見つけ出すと お守りとなるそうです。 さ・・さっそく挑戦。なんと10分程度で見つけ出せました。 松葉ってVの形しか見た事がありませんでしたがこの五大力の横の松の木には写真のように3本足の松葉があります。












 住吉大社さんの風景   実際にお参りして 例年はお正月三が日の参拝のみで平日に来ることはありませんでした。こんなに広く広大だったとは想像もできませんでした。