阿賀神社 太郎坊 滋賀県

太郎坊


この神社の正式な名称は「阿賀神社」といいます。




「太郎坊」は昔、この岩山(赤神山)で修行をしながらご祭神「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほねのみこと)」を守っていた天狗さんの名前です。
ご本殿前の夫婦岩は神の神通力により開かれたという言い伝えがあり、古来より悪しき心の持ち主や、嘘をついた者が通れば挟まれると伝えられ、子供たちは今でも足早に通り過ぎる姿が見受けられます。





又、夫婦岩の名前の如く夫婦和合や縁結びのご利益もあるといわれています。この岩の通りは全長12mで道幅は80Cmあります。


阿賀神社さんの駐車場からの眺め。近江平野が一望できます。




私が幼少の頃、この太郎坊さんには数回訪れています。

当時の印象はもっと岩と岩が接近しており たしかに怖くなって走り抜けた記憶があります。
また麓からこの夫婦岩まで1000段近い階段がありこの階段も 数回休んだだけで一気に走りぬけたようです。
今では考えられませんが、恐るべし!子供の体力ってとこでしょう。



 この「阿賀神社」が創始されたのは、約1400年前と言い伝えられており西暦600年代ですから相当古い神社です。聖徳太子が当地箕作山に瓦屋寺を建立された時、当社の霊験が顕著であることを聞かれ、国家の安泰と万人の幸福を祈念されたと云われています。
その後、最澄も参籠し、そのご神徳に感銘し、50あまりの坊を建立して当社を守護させられた。又、多数の行者が集まり、修験道もさかんになった。このように、明治の神仏分離令が発せられるまで、神道・修験道・天台宗が相混ざった形態で信仰されてきました。



 当社の御祭神は勝運の神と崇められ、どんな事にでも勝つと云うことで、商売繁昌・必勝祈願・合格祈願・病気平癒などのご祈祷の申し込みが数多くあります。



明治時代の神仏分離令までは神社とお寺は同じ場所で祀られており神職者がお寺の管理もされていたそうです。

たしかにその名残か太郎坊(阿賀神社)の中にお稲荷さん(宇迦之御魂神うかのみたま)や七福神の像、役小角様の像や福助さんの像がありました。
※残念なことにこの神仏分離に乗った形で廃仏稀釈が盛んになったそうです。

























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