◇法案寺
摂津国八十八箇所の第一番目のお寺です。
豊臣秀吉の大坂城築城の時は法円坂町付近にありましたが1583年(天正11年)、生玉明神とともに馬場崎(大阪市天王寺区生玉町、生国魂神社の所在地)に移転させられた。江戸時代になり江戸幕府から寺領300石をあたえらて以降は、歴代の大坂城代が法案寺に帰依したこともあったので、非常に隆盛しました。明治時代に入り、廃仏棄釈から逃れるために当時の法案寺ご住職は本堂から聖観音と聖天堂の歓喜天を持ち出し、1883年(明治16)年6月に現在地である大阪市中央区島之内2丁目に法案寺を復興再建しました。
1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲で本堂・諸堂とともに焼失しましたが聖観音・歓喜天は焼失を免れました。本尊は薬師如来ですが聖観音と歓喜天が有名であり、歓喜天は「日本橋の聖天さん」と呼ばれて信仰の対象となっています。また境内の弁財天は「大阪七福神」の一つです。
歓喜天
歓喜天はインドのガネーシャという象の頭をした神様で、大聖歓喜自在天、あるいは聖天(しょうてん、しょうでん)と言われる事が多い。男女が抱擁している双身像が多いようで夫婦和合・子授けの神として信仰されています。この歓喜天様はお大根が大好物だそうで聖天さんをお祀りしているところにはお大根のモチーフがあります。
実際にお参りして
隔週月曜日にお参りさせていただく前に某所に立ち寄っていますが酩酊状態の方や一瞬目を背けたくなるような姿の方が多く情けない気持ちになります。古き良き時代の大阪ではこんあことはなかったのでしょうね。そんな静寂さとともに培われてきた歴史がそれぞれの寺社仏閣には確かに存在します。争いごとや色々な祭事をじっと眺めてきた鎮守のの木のみが知る真実にすこしでも近づけたらいいなと思いを馳せてみることができました。