桑津神社
慶長十九年(1614年)、元和元年(1615年)の大阪の陣の兵禍により古記を失い創建年代は明らかではないが伝承によると往古髪長媛がご病気をされた際、医薬の祖である少彦名命に祈願され全快されたのでこの地に同神を奉祀された。 髪長媛が桑津に召されたについては日本書紀に記述があります。
応神天皇の 『十三年春三月、天皇専使を遣わして髪長媛を徴さしめたまふ。 秋九月中に、髪長媛日向より至れり。便ち桑津邑に安置らしむ 媛に王子 大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)髪長媛を見るに及ひてその形の美麗』と記されている。
後世髪長媛の宮跡に金蓮寺が建立され境内に応神天皇 髪長媛を守護神として鎮斎されたが神仏分離と共に 廃寺となり遷宮され当社の末社(八幡宮)となりました。古くは1月22日 初神事と言われた髪長媛が日向より御出されたときの 壮麗な祀りが行われた9月2日に新米を以って「しんこ」を作り神前に奉献された。
これは髪長媛の 本復祝いに奉献された故事による。
また馬場前に於いて競馬を行い勝者にザクロを与えた故に例祭には ザクロが備えられる。
※日向の国(宮崎県)の豪族、諸県君(もろがたのきみ)牛諸井(うしもろい)の娘。仁徳天皇が夫。応仁天皇が義理の父。
※日向は日向の国。当時はひむかのくにと読む。
今の宮崎県。高城町には髪長媛のブロンズ像が残っています。
大阪の陣の場所でもありました。
公園
この桑津神社の前は大きな公園になっていますが元々はこの神社の敷地内であることは間違いありません。
公園の反対側にある鳥居から現在の鳥居まで一直線に道が伸びています。この公園では将棋を楽しむ方が多くこられます。
昔、大道将棋というのがありましたがここの将棋は皆さんが楽しまれる将棋です。
また縁日のときはこの公園に夜店が数多く立ち並びます。
公園の端にたたずむ鳥居には〔天保四年建立〕と書かれています。
桑津神社の境内風景