和歌山県の観光ガイドを何気なく見ていて見つめたお寺。その写真は巨大な首の大仏様!
首大佛様の縁起
江戸時代の半ば、和歌山城下の武家屋敷で仲間として奉公する一少年あり。若いにも拘らず常に手に数珠を携え、口には念仏唱名の熱心な求道者でした。
二十歳を過ぎた頃出家の志を立て、故郷の大橋村(今の日高郡南部川村)の菩提寺萬福寺で剃髪出家の儀式を受け、京都の本山に登嶺、三年間の修行にて浄土宗の僧侶となり蓮心(1699-1768)と名乗りました。 2年後和歌山にて帰り着き納定の一庵(後に大福寺と称す。跡地に宮北小学校が建っています)に住む。
庵にて念仏修行中、一丈六尺に及ぶ佛様を目の前に拝む。その奇瑞を村人に語ると蓮心和尚の為ならと象力により露座唐金の丈六佛が出来上がりました。そのときの蓮心は30歳(享保時代1730年頃)位と推定できる。 以後納定の地から丈六佛を中心に高声念佛がひときわ響き大変な賑わいをみせました。
蓮心滅後、67年目に丈六佛の隣の本堂が火災で丈六佛も炎上。一時は悲嘆にくれた村人も再興を発願。第二代は鎌倉の大仏様を目標にと、先ず昆盧遮那佛のお首だけを溶銅で鋳造。
天保十一年(1804年)7月24日に開眼大法要が営まれました。
御首に佛体を継がんことを度に企てられるも世勢の騒憂に思うに委せず、大福寺の伽藍も安政元年の大地震で全部壊滅に帰してより寺の維持も困難となりついに明治41年(1908年)廃寺。
首大仏は本寺である無量光寺に安置され本来納定の時代と同様温容を以って慈悲忍辱の恵みを参詣者に垂れ給うのである。
蓮心の優しさ、思いやりが「紀伊の大佛縁起」に次の通り記されています。
「蓮心は堂内にネズミの死体を見出してはその供養に二昼夜の別時行儀念仏を修め、 夜半盗賊に入って錠剤用度を強奪していった後では盗賊の罪障消滅のために二昼夜の看経を遂げるなど、一虫一草の上に超越して佛縁にいたるのであったから其の功徳葉自然を感応し、利生化他の益となって近隣の崇敬益々篤くなって行った。」
ネズミや盗賊のためにも思いをかけ、成佛を願う心は宗教の極到であり、その蓮心の心が首大佛様の中にこもっていて今尚参拝者の心とひびきあうものがあるといえましょう。 (境内記載のご由緒書より)
実際に参詣しこの首大仏様を見たときはその光景に驚きました。
しかしその縁起・ご由緒を拝見しその蓮心さんの心清らかな事を知り感動したのを覚えています。
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