このお寺は数年前にたまたま訪れたお寺さん。なんと山門の手前に「赤穂義士之墓」と書かれた石柱があってびっくりしたことを覚えています。
それから住吉さんにお参りする際には必ず一緒にお参りさせていただくようにしています。
昔住吉に龍海寺という寺があった。この寺に四十七士の墓がずらりと並んでいた。
龍海寺は天野屋利兵衛の菩提寺で、利兵衛以後四代目の當主が四十七士の墓を建て、また堂内に四十七士の木造を安置したのであった。
しかし明治維新の初め廃寺となり此の多くの墓石は天野や庭石などに持ち去られ、又は砕かれつつあった。これを見た一運寺の当時の住職は驚き嘆きあやうく残された三基を一運寺内に運ばしめ、懇ろに供養したのであった。
その三つの墓が大石親子と寺坂吉右衛門の墓である。木造の行方は大阪天王寺茶臼山池畔の寺に移されたという。
今一つ天野屋と住吉とに関してエピソードがある。利兵衛が大石の依頼を受けて討ち入り用の武具を作製するにあたりこれを堺の武具商に依頼した。
その下請けの職人達は平常以上の臨時収入があったので当時武家か一流の商人しか出入りできなかった住吉の高級料亭「三文字屋」で宴席をもった。
酒が云わせる高話を小耳にいれたのは折から隣座敷に浅酌する大阪町奉行松野越前守配下の
与力衆であった。天野屋捕縛の端緒となり「天野屋利兵衛は男でござる」の彼の劇的挿話となったのである。「三文字屋」の跡地は住吉警察となり、龍海寺もそのすぐ東側にあったということである。
旭堂南左衛門さんの講談でなんどか聞いたことがある「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」。
武器を隠していることが幕府に見つかり拷問を受けるが、武器を依頼した者の名前を白状することもなく瀕死状態。それでも白状しない利兵衛兵。
そこで取り調べの役人は奥さんや子供までも拷問にかける・・・。
この武器は討ち入り用のために作った武器であることを白状すべきか・・・それとも・・・・。
容赦なく責められる拷問の音・・・。
涙を流し、歯を食いしばりその様子を睨みつける利兵衛。
そこであの名セリフが絞り出すような声で出てくる。
「天野屋利兵衛は・・・男でござる・・」 これぞまさしく名シーンです。
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